【デマの後に…】しれっと引退 銚子電鉄2000形 2001F ついに本当のさようなら


こんにちは!
今回は銚子電鉄に関する記事を書いていきたいと思います。
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先日、3/10に銚子電鉄2000形の2001Fが引退するというデマが流れていたということを記事にしていました。結局のところ、2001Fは3/10に引退することはありませんでした。しかし、そのすぐ後に2001Fは引退したようで、既に引退済みです。幕やサボ受けの撤去などが目撃されていることから、引退と判断して良いと思います。最後の運用日は3/15だったようです。たまたまだとは思いますが、ダイヤ改正の前日に引退する形になったのですね。

2001Fと後継車の南海2200形

それでは2001Fの後継車となる、元南海2200系がデビューしたのか?ということですが、実はデビューはまだしていません。それでは何が2001Fを置き換えたのか?ということですが、今回2001Fが離脱できたのは、2002Fの検査が完了したからです。これまで2002Fが検査に入っている状態であったので、2001Fと3001Fの2編成体制となっていましたが、2002Fが復帰したため、2002Fと3001Fの2編成体制になり、2001Fは引退したということですね。元南海車のデビューはもう少し先のようです。



それでは2001Fの経歴を簡単に振り返ってみましょう。
2001Fは元は京王2010系として1962年に製造された車両です。元々は現銚子方のデハ2001はデハ2070として、現戸川方のクハ2501はサハ2575として製造されていました。そして京王で20年程度活躍した後、1984年に愛媛県伊予鉄に譲渡されます。京王から譲渡された際、デハーサハーデハと3連を組んで譲渡されており、銚子電鉄の2001Fはデハ822‐サハ852‐デハ812という車号が付けられた編成の、デハ822とサハ852として活躍していました。しかし、1990年代、2両編成での運転も可能なようにサハに運転台を取りつけ、クハにする改造が行われました。そこでサハ852はクハ852に改造されました。その際に取り付けられたのは京王5000系と同じデザインの運転台です。

取り付けられた運転台
銚子方と戸川方で顔が違うのは、戸川方のクハの先頭車は先頭化改造車であり、伊予鉄時代に取り付けられた顔だったからというわけなんですね。銚子型のいわゆる東海顔がオリジナルの顔です。
そして2009年、伊予鉄での活躍を終えたデハ822とサハ852は、現銚子2002Fとなった、デハ823,サハ853と共に銚子電鉄に譲渡されることになりました。銚子電鉄では2010年7月にデビューし、これまで活躍を続けてきましたが、2024年3月15日を以って2001Fは離脱をしたということですね。京王時代から数えて60年以上に渡る大活躍でした。ちなみに2018年にはデハ2001の車内が「大正ロマン電車」に改造され、非常にノスタルジックな雰囲気の車内になりました。

銚子ではこういった手も加えられながら活躍をつづけたのですね。

2001Fは離脱するものの、同時期に譲渡された2002Fはこれからも活躍を続けることになります。これからも元伊予鉄800形には乗車できます。2002Fにはこれからも頑張ってもらいたいものですね。
今後は元京王2010系、5000系、そして南海2200系と3種類の車両が走る銚子電鉄。ますますバラエティー豊かになりますね。是非訪れてみてはいかがでしょうか。
最後までご覧いただきありがとうございました!