【209系31周年】209系3000番台の中でも独特な設備があった ハエ61編成 とは


こんにちは!
今回は209系に関する記事を書いていきます。
本日、2024年2月5日は209系デビュー31周年です。1993年2月5日に209系ウラ1編成が落成し、そこから209系という形式が活躍し続けることになったわけですね。ただし、ウラ1編成は全編成解体されてしまっていますので、一番最初に31年を迎えるのは1993年2月13日落成の元ウラ2編成です。この編成は現在はMue Trainとして活躍している車両ですね。去年30年を祝ったばっかりかと思いましたが、もう1年も経ってしまったのですね…。
そんな209系は様々な番台が誕生していくことになりますが、その中でも16両4編成のみ製造された番台、209系3000番台の中でも唯一の特徴を備えていたハエ61編成に関する記事を書いていきたいと思います。


ハエ61編成
209系3000番台は1996年の八高線電化に併せて製造された番台です。八高線電化時は103系が6編成と209系が4編成準備されることとなりましたが、その際に準備された209系ですね。八高線向けの車両は3000番台を名乗り、4両×4編成が製造されました。この4編成、たった4編成ですが、製造工場が分かれれいます。ハエ62~64編成に関しては、3編成は東急車輛で製造されているのですが、残りの1編成のハエ61編成は川崎重工で製造されているのです。ハエ61編成が3000番台のトップナンバーですが、トップナンバーのみ川重製となっています。209系は川崎重工は2シート工法(車両の外板で強度を保つ工法)で製造され、東急製では骨格構造になっているため、そもそも車両の製造工法が異なります。しかし、3000番台には製造工場の違いで目に見えて異なる設備がありました。その設備と言うのが、ドアボタンです。

全てではないのですが、右から二つ目のドアのドアボタンに横向きのドアボタンが設置されていたのです。横向きのドアボタンはなかなか見ないですよね(笑)このような特異な設備が目立つ編成がハエ61編成でした。

ハエ61編成は1996年デビュー後、2018年10月まで活躍し、2018年12月に宇都宮駅構内に疎開されました。ちなみに2018年10月離脱した際は、ドア故障を起こしてそのまま離脱しています。ホームと反対側のドアが開閉してしまったという事故で、事故を受けて、209系機器未更新車のドアの一斉点検が行われるほどのことだったみたいです。(当時の労働組合資料から判明していました)その後、1年以上に渡り疎開され続けたものの、2020年2月に郡山総合車両センター廃車回送。そのまま解体されました。3000番台が1年以上疎開された理由について、いろいろな噂がありますが、どうも転用を見込んだ動きだったのではないかと言われていますね。結局解体されてしまい残念でしたが、懐かしいものです。
今回は209系3000番台ハエ61編成に関する記事でした。
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